ビクトリヤ月経帯
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取引価格目安
不明
所有者
書肆ゲンシシャほか
アイテム説明
ビクトリヤ月経帯は、大正時代初期に大和ゴム製作所によって開発されたゴム製の月経帯である。従来、月経の処置には布や脱脂綿を押さえるだけの帯が多く、しかも薄い防水ゴムの入手は輸入頼みであった。その状況を変えたのが、このビクトリヤ月経帯の登場である。国内で薄ゴムの製造に成功した大和真太郎氏が、ゴムの防水性に着目し、脱脂綿を抑えつつ衣服を汚さない構造を実現した。
稀少性と価値
ビクトリヤ月経帯は当時の女性雑誌で盛んに広告され、パッケージも華やかに装飾されていたことから“月経帯の女王”と称されたほど人気を博した。しかし昭和期に入る頃には、戦時下の資材不足や新しい月経帯の登場により、現在まで良好な状態で残っている個体は限られている。また、現代の生理用品とは大きく形状や素材が異なり、古い女性雑誌の広告や当時の小説・日記などにも戦前の風俗をうかがわせる貴重な資料として取り上げられる。こうした点から文化史的・コレクター的価値が高いといわれている。
歴史的背景
ビクトリヤ月経帯が発売された1914(大正3)年頃、日本国内ではまだ薄いゴム生地を安定して製造できる企業がほとんど存在しなかった。大和真太郎氏は輸入品に頼らず薄ゴムを国産化することで、当時1円以上した輸入月経帯を70銭程度へと半額近くまで下げ、広く女性が手に取りやすい価格帯を実現した。雑誌の口絵や、女学生向けの宣伝方法を駆使し、販路を全国へと広げていったことも功を奏したといわれる。戦前には芥川龍之介の小説や随筆で言及されるなど、高級な月経帯の代名詞として扱われた事例もあり、多くの消費者が“憧れ”を持っていた。
だが第二次世界大戦に伴うゴムの軍需転用、戦後の衛生観念の変化、そして1960年代に登場した新たなナプキンの普及により、ビクトリヤ月経帯は急速に姿を消した。企業としても月経帯以外のゴム製品へ注力せざるをえなかったため、商品としての継続生産は途絶え、現代では骨董市や古書の広告ページ、オークションでしか目にする機会がないほど希少となっている。
意味と影響
ビクトリヤ月経帯の歴史は、日本で生理用品市場が本格的に形成される端緒となった一つのエピソードでもある。月経時に用いる物を“隠す”のではなく、大々的に広告して新しい価値観を広めたことは、当時としては画期的であった。ビクトリヤ月経帯の成功によって追随メーカーも現れ、ゴム製防水性の月経帯が複数の企業から発売される流れをつくりだした。
総評
ビクトリヤ月経帯は、近代日本における衛生用品の転換点を示す貴重な遺産である。宣伝手法や華やかなパッケージ、ゴムという素材を生かした実用性はいずれも画期的で、当時の女性が抱えていた生理期の不便を軽減するだけでなく、今の生理用品普及の礎となったと言える。戦中戦後の混乱と技術発展の波に埋もれたため、現代ではその姿を見かける機会がごく限られているが、女性の生活史や生理用品の社会史を語るうえで欠かせない存在として評価されている。