廓言葉の研究
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book > 学問 > 湯沢幸吉郎
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取引価格目安
45,000円
所有者
書肆ゲンシシャほか
アイテム説明
廓言葉とは
かつて全国の主要都市に存在した遊廓(ゆうかく)や花街で用いられた、独特の言語表現を総称して「廓言葉」という。とりわけ江戸吉原に代表される「アリンス言葉」や、京都島原での「なます言葉」など、さまざまな地域や遊廓固有の話し方があることで知られている。これらの言葉は地方出身の遊女が持ち込む多彩な訛りを「独特の言語形式」にまとめあげることで、廓の内外を区別し、また遊女たちの秘密を外部から隠す役目も果たしていたといわれている。
「廓言葉の研究」は、1964年に明治書院から刊行された学術的な研究書である。著者の湯沢幸吉郎(1887–1963)は生涯を近世語の研究に捧げ、丁寧語や尊敬語、岡場所の用語など、遊廓内部で成立した特殊な語法を徹底的に調査・分類した。本書は著者の没後、門下生たちによってまとめられた遺稿集であり、廓言葉に関する文献としては最初期からの研究成果を包括的に収録している。廓言葉を助動詞や形容詞などの品詞ごとに整理し、歴史的な活用法まで踏み込んでdetailに解説する点が大きな特徴である。
本書の内容と意義
本書は大きく以下の3つのパートに区分されている。
- 丁寧語
- 「マス」にあたる廓特有の語(例:ゴザイマス系)
- 「ハベリ」「ナリ」などの古典的尊敬表現との関連
- 花魁や酌婦が客に対して使う独特の丁寧形
- 尊敬語
- アリンス言葉やなます言葉における二人称・三人称尊敬
- 「おあんなんす」「おっせえす」などの変形活用
- 岡場所(無許可の遊里)での用語
- 吉原や島原のように公的に許可された遊廓ではなく、各地の非公認色街(岡場所)で使われた言葉
- 「ごぜえす」「ざります」「おざんす」など、丁寧ながらも独特の節回しを含む表現
遊廓という特殊環境で洗練されていった言語体系は、単なる隠語ではなく、その場において客と遊女とのあいだで成立する接客術の要でもあった。さらに、当時の娼妓が地方出身者同士で通用するように工夫した言い回し、あるいは身分差を強調するための尊敬・謙譲表現など、市井ではあまり使われなかった独特の言い回しが幾多も生まれた背景が本書を読むとよくわかる。
本書の価値は、単なる「廓用語辞典」ではなく、これらの語法がいつごろ誕生したのか、その文法的特徴はどう変遷したのか、という歴史言語学的な観点から整理されている点にある。廓言葉を五段活用や助動詞形にまで落とし込み、多数の事例を示す姿勢は当時としては画期的で、近世日本語学・社会言語学の基礎資料として重要視されてきた。
歴史的背景と希少性
江戸から明治、大正、昭和初期に至るまで、公娼制度のもとで遊廓は大きな役割を果たしてきた。しかし戦後の公娼廃止と、経済復興に伴う都市整備などによって、遊廓は次第に消滅あるいは形骸化していく。結果として「廓言葉」は衰退し、現代では文学作品や古い映画、伝承的な舞台など、ごく限られた形でしか触れられなくなった。
「廓言葉の研究」は1964年刊行以来、長らく絶版の状態が続き、いまも古書市場やオンデマンド版でしか入手が難しい。稀に図書館や大学研究室の蔵書で閲覧できるが、個人が所蔵する稀少本としても知られており、まとまった部数が出回っているわけではない。そのため市場では高値が付くこともあり、コレクターや研究者にとっては垂涎の書となっている。
総評
本書は近世・近代の日本社会において、どのように言葉が共有され、またどのような人々の思惑によって変化を遂げていったのかを具体的に理解させてくれる一冊である。遊廓の表層的なイメージだけでなく、言語と社会の関係性を考える上で極めて示唆に富む内容と言えよう。研究者のみならず、古い言葉や文化に興味を持つ読者にとっても、江戸情緒溢れる興味深い世界を覗き見る格好のテキストとなるだろう。